うずらのひよこ

先日(といっても1ヶ月以上前のことだが)、
とあるホームセンターに訪れたときのこと。

そのホームセンターはペットショップが併設されていて、
私(つれもいました)はミニ動物園気分で、そのペットショップを見に行った。
そこで私はある動物に魅入った。
そいつは「ウズラ」。

まるこい格好でちょこまか走る姿は、なんとも言えず面白い。
あのバランスが取れてるのだか取れてないのだかの、
かわいいとも違う、かっこいいとも違う、
やっぱりなんとも言えない面白さをやつは持っている。

というわけで、次にホームページを作ったときはウズラをどこかかんかで使いたいなと。
むしろ、タイトルにしてしまおうかなと。
で、その候補として今日の雑記のタイトルの「うずらのひよこ」です。
うむ、かわいらしすぎる名前だ。「ウズラのヒヨコ」のほうがいいか。

自作ゲームの「Hen」「配達鳥」といい、今回の「ウズラ」といい、
私の潜在意識は鳥類を求めているのだろうか。

どこでもできるから

新宿に通勤するようになって半年以上経つが、
人の多さにうんざりする。どうも慣れない。
自分もおのぼりさんなわけなのだが、どうにか少しでも減らないものだろうか。

以前、テレビかどこかで、
「IT事業はどこでもできるのだから落ち着いた郊外で仕事をすればいい」
みたいなコメントを聞いた。
都心への一極集中を緩和し、地方活性化が期待できると。

確かに自分も、それはひとつの理想的な姿だと思う。
しかしながら、「どこでもできる」からこそ、
人の多い方へと流れていくことのほうが、むしろ自然な流れではないだろうか。
娯楽の少ない地方へ行くより、 何でもそろう都心にいたほうがよいと思うことは難くない。

この一極集中を防ぐにはどうしたものだろうか。
  1. 地方にしかない産業を活性化
  2. 人が集まる
  3. 娯楽が充実
  4. どこでもできる産業も地方へ
短絡的に考えて、以上の流れが思いつく。
でも、こんなことは地方はすでに考えているわけで、
そして実際、失敗している。
もっと盲点を突くような、画期的なアイデアはないものだろうか。

・・・都心にマイナスイメージを植えつける、 なんてネガティブな方法はありだろうか。
「東京の水は飲めない」「東京では子供が育たない」「東京に殺される」とか。
いや、これは極端な言い方をした例ですよ。
自分はこの半分くらいしか思ってませんよ。半分くらいしか。

どこでもドアがあったら、こんなこと考えなくて済むのだろうな・・・。

お米とハチミツ恋をした

以前、NHKためしてガッテン」で、
「ご飯を炊くときにハチミツを少し入れて炊くとおいしくなる」
というようなことを言っていた記憶があったので、
試しにやってみたら、これがなかなか。うまいでないですか。

もともとおいしいお米だとあまり効果がないらしいのだが、
もちろんうちは、スーパーで買った安いお米。効果てきめんでした。

しかしまあ、この、
「おいしいお米では効果が無くて質の落ちるものだと効果が出る」
というのが、庶民心を揺さぶって良いではありませんか。
小市民の幸せがここにあった。

技術と想像

昨日夜、TV番組NHK英語でしゃべらナイト」で 秋葉原の特集みたいなことをしていた。
その中で誰かの言った言葉。
秋葉原を表すキーワードは Technology & Imagination(技術と想像)
だと。

秋葉原に限らず、想像を生む技術は歓迎されるべきだ。
冷凍技術は様々なアイスクリームを家庭にもたらした。
最新3DCG技術は映画の表現力を格段に上げている。

TechnologyとImaginationを組み合わせてそこに現れるもの、
それは、Creativity(創造性)である。
これからも人は新しいものを創り出すために、 技術と想像を追い求めるのだろう。

死ぬのはいつも他人

1世紀ほど昔の画家、故マルセル・デュシャンの墓には、
「されど死ぬのはいつも他人なり」というような言葉が刻まれているらしい。
何とも哲学的だ。

2年ほど前、自分の祖父が心筋梗塞で急死したときのこと、
全く動かない祖父の亡骸を前にしてこの言葉を思い出し、
死というものを強烈に感じたのだった。

まあ、祖父の死とマルセルの言葉とは全く相関は無かったのだが、
その後、死亡事故や殺人事件のニュースを見るたびに、
マルセルの言葉を思い出すようになった。

自らの死を経験したことのある人はいない(はず)。
おそらく、生きている限り、死ぬのはいつも他人だ。
つまりは、死ぬのが他人である限り、生きている。
なんだか、マルセルに生きているというイメージを教えられた気がする。

一字違いで北から南へ

先日、とあるスーパーで北海道関連の商品を集めた一区画があった。
まあ、言えば「北海道フェア」ということだ。
そこをながめながら歩いていたら、あるPOPが目に入った。

さとうきびチョコ」

さとうきびとチョコを合わせるとは珍しいと思いながら、
はて、「さとうきび」なら沖縄か鹿児島だろと、ふと気がついた。
さては「さとうきび」ではなく「とうきび」の間違いではないか。
案の定、商品のパッケージには「とうきびチョコ」と書かれていた。
一字付け加えてしまっただけで、北海道から沖縄まで一気に飛んでしまった。

しかし、POPを作った人は気づかなかったのだろうか。
もしや、さとうきびがどこで採れるか、とうきびが何かを知らなかったのか。
間違いから生まれた日本旅行
知らないということは、なかなかに楽しい勘違いをもたらすものだなと。